キャリアプラン

小尾 佳嗣 先生-留学体験記

名前  小尾 佳嗣
留学タイミング:研究留学⇒卒後12年後、学位取得後2年後
臨床⇒卒後17年後、学位取得後7年後
留学先(国):アメリカ
研究留学か臨床留学:研究⇒臨床
留学中の研究領域・テーマ:CKD、末期腎不全関連の疫学研究

―留学を希望するまで、なぜ留学を望んだか

動機は単純に憧れと野心でした。私が大学院生の後半になって留学を考えだした2010年当時、CKDをテーマとした疫学研究の論文がメジャーな雑誌に数多く掲載されていましたが、まだ日本には全国規模の腎臓関連コホートは透析医学会の年末統計程度しかなく、自身の学位論文となる臨床研究のため、定期的に関連施設を訪問して紙カルテから数百人規模のデータをエクセルに手入力して集めていたのを覚えています。一方でアメリカから数千人~数万人規模のビッグデータから次々と出てくる論文を読みながら、そのようなデータさえあれば自分でもできるはずだという悶々とした思いと過剰な自信を抱いていたところ、臨床研究を指導していただいていた濱野高行先生から留学を勧めていただきました。

―留学先を決定するまで、どうやって決めたのか

ちょうど講演のために来日されていたカリフォルニア大学アーバイン校の Dr. Kamyar Kalantar-Zadehと対談した濱野先生から、Dr. Kalantarが行っている透析患者の大規模コホート研究を利用して日米比較を行うと興味深い知見が得られるのではないかという助言をいだたき、Dr. Kalantarのもとに留学することになりました。この決定が私のキャリアを大きく変える第一歩になろうとは、当時知る由もありませんでした。

―留学するまで、何が必要か、何を準備すべきか

英語力の向上と生活資金の確保は、留学を希望する人たちにとって共通の最重要課題でしょう。アメリカには日本語のような高尚な敬語や謙譲語などはなく、自分の意見はしっかりと主張して議論を交わし、Noと思ったらはっきりNoと言って戦うべし、という勘違いをしながらラボミーティングに参加していると、とんでもないことになります(なりました)。少しでもビジネス英会話を習っておくことを強くお勧めします。アメリカの習慣や文化は知っているようで知らないことも多いので、アメリカ生活のガイドブックなどで予め理解しておくことは、アメリカ人と早く仲良くなること、現地の生活に溶け込むうえで重要です。また地域によってはメキシコ人も多いので、少しでもスペイン語が話せると色々と便利です。
留学資金は、何といっても安心できる生活環境を確保するために必須です。どの都市にも危険地帯と安全な地域があり、もちろん安全な地域のアパートの家賃は高めになっています。しかし、コロナウイルスのパンデミック以降、未だにアジア人に対するヘイトクライムの被害を受けた日本人の報告が続いているのも事実です。他の何を削ってでも、良い住まいの確保を最優先にすることをお勧めします。留学を検討しだした段階で各種助成金の条件や締め切りのタイミングを十分に調べて、留学までに資金をできるだけ確保しましょう。

―留学してから

諸事情により留学当初の目的であった日米比較は実行できませんでしたが、幸いDr. Kalantarのラボで素晴らしい仲間たちに出会い、研究に没頭しながら筆頭著者として数多くの論文を書くことができました。また、腎臓内科長としてだけではなく、Principal Investigatorとして複数の大規模助成金を獲得しながら他の施設との共同研究を取り仕切るDr. Kalantarの強力なLeadershipを近くで見ることができたのは、非常に良い経験でした。共同研究のリモートカンファレンスに参加することを通じ、アメリカ腎臓内科の疫学研究をリードする先生方と直接知り合うことができましたが、その中でもテネシー大学のDr. Csaba Kovesdyや当時ジョンス・ホプキンス大学にいたDr. Tariq Shafiとの出会いが、後に大きな意味を持つことになります。

写真1:カリフォルニア大学アーバイン校附属病院の敷地の前にあるビル。ここに医局やデータサイエンスのラボが入居している。

―留学後のキャリアパス・プラン

2013年の留学当初は、2年程度の間に数本論文を書いて日本に帰国し、大学で働きながらいずれは親のクリニックを継承することになるだろうと考えていました。しかし留学1年目に第一子が生まれたこと、研究が軌道に乗ってきたところだったこともあり1年延長し、また翌年には上原記念生命科学財団から助成金を獲得できたことでさらに1年延長することになりました。アメリカとはいえ4年も同じ場所にいると、勝手知ったるラボでそれなりに動けるようになるので、ある程度仕事を任されたり留学生や医学生の指導をしたりするようになります。そうしているうちに、ひょっとして大学院生のときに憧れたような大規模な研究を自分もアメリカでできるようになるんじゃないか、という妄想を抱くようになりました。ただ純粋な研究者として生活していくのは家族と十分な暮らしをするうえで収入面の不安がありましたし、アメリカで臨床研究をするのであれば、アメリカの実地臨床を知っておく必要があります。そこで無謀にも、アメリカの医師免許を取得してPhysician Scientistになろうと思い立ちます。

写真2:在日米空軍横田基地病院。フェローの主な業務は各科オブザーバーシップおよび重症患者の搬送に必要な周辺病院とのコミュニケーション。

2017年(卒後15年)からUSMLEの受験勉強を始め、二人目の子供が生まれた後で日本に帰国して在日米空軍横田基地病院で日本人フェローとして1年間勤務し、2019年4月にECFMGを取得しました。アメリカの卒後研修制度としては、やはり通常は内科レジデンシーから始めることが原則ですが、海外での臨床経験や実績などが認められた場合、サブスペシャルティのフェローシップに進むことができます。これを利用して、自分が専門とする腎臓内科のフェローシップから始め、アメリカの医療に慣れていこうという作戦を立てました。ところがカリフォルニア州では海外医学部卒業生に対する州の規則が厳しく(いわゆるCalifornia Letter: 現在は廃止)、私の卒業大学のカリキュラムは臨床医として働くための規定を満たしていないと判明。そこでDr. Kovesdyに連絡をとってみると、そういった問題はテネシー州にはなく、またフェローシップを開始予定だった人が辞退したために同年から採用いただけることになり、慌ててアメリカへ戻ることになりました。ただし1年中太陽が美しい慣れ親しんだ南カリフォルニアではなく、それまで興味すらもったことのなかった南部の中心メンフィスへ、研究者としてではなく後期研修医として。

写真3:Methodist University Hospital。スティーブ・ジョブズが肝移植を受けた病院として有名。テネシー大学腎臓内科では、この他に公立病院であるRegional One Hospitalとメンフィス退役軍人病院の3つの病院をローテーションする。

テネシー大学腎臓内科フェローシップでは、自分の能力不足から多くの苦労を経験しましたが、他のフェローやファカルティ、家族や留学仲間のサポートのお陰で無事修了することができました。フェローシップ修了後に内科レジデンシーに挑戦することも考えましたが、卒後18年目で厄年を超えている中年にはマッチすることも、マッチしたとしても一般的にフェローシップ以上に激務なので体力的に難しいのではないかと思い、ファカルティとして残る道を模索しました。一般的には臨床のファカルティとなるために必要な医師免許は内科レジデンシーを修了しないと取得できませんが、大学などの教育機関は附属病院でのみ有効な免許を申請することができます。しかし、テネシー大学には付属病院がなく(関連病院のみ)、内科レジデンシーを修了していないと採用できないとのこと。二人の子供たちが成長するのを見ながら、日本に帰国するという選択肢も考えながら不安な日々を送っていました。すると家族ぐるみの付き合いをさせていただいていたファカルティが他の大学でのポジションを探す手伝いをしてくださり、それが運よくジョンス・ホプキンス大学からミシシッピー大学へ腎臓内科長としてちょうど異動されたばかりのDr. Shafiの耳に入り、ファカルティとしてのポジションのオファーをいただきました。こういった特殊なルートでの採用は大学の承認が必要になりますが、研究業績やテネシー大学の先生方からの強力な推薦、それから日本で取得していた内科専門医、腎臓専門医、透析指導医、腎移植専門医といった資格が認められ、無事にAssistant Professorとして採用されました。現在はミシシッピー大学のScholarshipからサポートをいただき、業務時間の50%を研究のために確保することができています。

写真4:ミシシッピーにある自宅から。隣には教会と農場があり、道路を車で走るときには飛び出してくる野生の鹿に注意が必要。

―キャリアプランとしての海外留学のメリット

私のケースは非常に特殊なので参考にならないかもしれませんが、留学することで視野が大きく広がることは間違いありません。自分の分野で世界のトップの人たちとつながることができるのも大きなメリットです。また、海外で『外国人』として生活することで、そういった環境の厳しさや、思いもかけない人の優しさに触れることで、人間としても成長できることでしょう。

―留学に際して、腎臓領域の医師/腎臓学会会員でよかったこと

フェローシップから始め、レジデンシーをすることなくファカルティとして残ることができたのは、腎臓内科専門医があったからこそ。また、腎臓学会会員としてCKDガイドラインの改訂作業に携わった中で得られた経験や知識は、その後の研究やキャリアの発展につながりました。

―海外留学を目指す先生方へのメッセージ

人生塞翁が馬。面白いと思ったことに没頭し、難しい課題も楽しみながらチャレンジし続けてください。道が開いたら、飛び込みましょう!