キャリアプラン

今泉 貴広 先生-留学体験記

名前 :今泉貴広 Takahiro Imaizumi
留学タイミング:卒後 11年⽬、学位取得後 すぐ
留学先(国):ペンシルバニア大学臨床疫学生物統計部門(アメリカ)
留学中の研究領域・テーマ:慢性腎臓病の臨床疫学、特に心血管病について

―留学を希望するまで、なぜ留学を望んだか

大学院に入ったのが卒後8年目くらいのころで、当初は留学することはあまり考えておりませんでした。研究班の選択時は基礎研究ではなく、その後の人生にも役に立つであろうと考えて臨床研究を選択しました。当時、名古屋大学腎臓内科では臨床研究班を起ち上げたばかりであり、指導体制も整っていない状況でしたので、すべて手探りで身に着けていきました。西に統計学の勉強会をしていると聞けば参加し、東に疫学の講習会があれば参加するといった感じです。しかし、自力での勉強には限界を感じていました。そして、大きな転機が訪れたのです。

―留学先を決定するまで、どうやって決めたのか

CKD-JAC研究という、日本全国の医療機関に通院中の慢性腎臓病患者のコホート研究がありますが、アウトカムとしての心血管疾患が大変すくなかったために、研究期間を延長することになりました。当時は解析を外注していたのですが、解析に時間がかかったり、臨床医の意図がうまく伝わらなかったりと問題がありました。そこで、名古屋大学の研究支援組織のリソースを使ってデータ管理と解析支援を行うことになりました。そのときに教授から、「手伝ってくるように」と命じられたのでした。日本を代表とするコホート研究のデータを触ることができるのは非常に大きなチャンスでしたので、願ってもないことでした。さらに当時、CKD-JAC研究は米国のCKDコホートであるCRIC研究と共同研究を行っていました。当時大阪大学にいらした濱野高行先生、続いて県立西宮病院の藤井直彦先生がそれぞれ3年ほどアメリカのペンシルバニア大学にポスドクとして研究留学に行っていました。その後に行く人間がいないということで、こちらに話がやってきたのでした。アメリカの名門大学への留学の機会が巡ってきた!という状態です。ここまでは順調に進みました。アメリカ腎臓学会が2016年にシカゴで開催されたのですが、そこで留学先のボスとなるフェルドマン先生と面談をすることになったのです。しかし、話はそれほど簡単ではありませんでした。

―留学するまで、何か必要か、何を準備すべきか

私の場合は前任者(藤井直彦先生)とその前任者(濱野高行先生)が非常に優秀だったので、日本人を受け入れるという土壌は整っていたと思います。しかし臨床研究では有給のポジションを得ることは非常に難しく、研究者として受け入れてもらっても給料は出すことはできない、というのが条件でした。そのため自力で資金を準備する必要があり、また長く滞在することは難しいことからはっきりとした目的をもって短期間で留学を終わらせる必要がありました。短い期間で目的を達成するためにはやはり語学力が最低限必要です。しかし私は日本のいわゆる「受験英語」でしか勉強していませんでしたので、留学するための最低限の語学力すらありませんでした。前任者がまだ留学中にWebでボスとの面談をセッティングしていただいたのですが、散々でした。散々すぎて笑うしかない、というくらい酷かったです。それでも直接会って熱意を伝えれば何とかなるだろう、と思い、2016年のアメリカ腎臓学会でのFace-to-faceの面談を申し込みました。教授、医局長(当時)にもついてきていただき、留学の受け入れを直訴しましたが、あまり良い返事をもらうことができませんでした。はっきりと「君の語学力ではとても苦労するから1年なんて短い期間では得られるものが限られていると思う」と言われたのでした。
 失意のまま帰国したのですが、せっかくなら粘れるだけ粘ろう!ということで資金面のメドを立て、英語を猛勉強し、research proposal(こんなことをやりたい、ということを具体的に記載するフォーム)を作成してメールで送り、とうとう根負けして(?)受け入れていただくことが決まったのでした。
臨床研究の留学は、このように資金の工面という大きな壁があるので簡単ではありません。幸いなことに留学中に応募した上原財団から、海外留学フェローシップの助成を頂くことができ、留学期間を約1年延長することができ、トータル1年9カ月の滞在となりました。2年目の滞在が確保できたことは非常に大きな意義があったので、留学助成金の獲得のためには留学前にコンスタントに論文を書いていくことが大事だと思います。また、基礎研究でも語学は最低限出来る必要はあるでしょうけど、臨床研究留学では語学力がモノを言いますので、事前にいくら勉強しても足らないくらいです。しかし語学力が本当に伸びたのは渡米後でした。

―留学してから

留学後は研究と語学とマラソンに没頭しました。特に家族を日本に置いてきたので、他にやることがありませんでしたので。お金もないので旅行などもできず、休日は教会などに行って現地のコミュニティに混ざって英語をひたすら話したり、日本好きのネイティブとlanguage exchangeをしたり、日本から持って行ったNHKの実践ビジネス英語のテキストをひたすら音読したりして1日5時間くらい英語の勉強をしたと思います。また、CRICコホートの会議に出させてもらい、許可を得て録音して家でじっくり聞きました。留学先のボスはとても教養があってカッコいい表現をたくさん使っていたので真似して使ってみたり、同僚に「あのときなんて言ってたの?」などと質問したりしていました。 コホートのことや疫学や統計学のことももちろんたくさん学ぶことができました。現地の疫学・統計学の授業にも参加させていただき、アメリカの大学の授業というのも体験できました。最初はビクビクしていましたが、いつしか質問もするようになり、学生とのディスカッションなども少しずつできるようになり、とても勉強になりました。
 研究内容としては、日本のCKDコホートであるCKD-JACのデータと、アメリカのCKDコホートであるCRICのデータを統合して解析を行い、日米のCKD患者に対する降圧薬処方パターンの違いや、心エコー所見と心血管病の関連をみる臨床疫学研究を行い、日本に帰ってきてから論文化することができました(Hypertension Res 2021; Kidney International 2023)。

―キャリアプランとしての海外留学のメリット

ここまで読んでいただくと分かると思いますが、かなり行き当たりばったりのくせに何と強運なんだ!と感じています。しかしせっかくいただいた機会を存分に活かして留学生活を送る!と心に決めて日々を過ごしてきたおかげで、自分の能力を伸ばすことには成功したと思います。帰国してからは引き続きCKD-JACのデータセンターのとりまとめ役として、また主要論文の解析担当者として数々の研究に携わることができましたし、現職として研究支援組織に属しながら、新たな領域としてリアルワールドデータの研究基盤構築という事業に携わるチャンスを頂くことができました。そしてそこではアメリカで学んだことやその後の自分のキャリアの中で学んだことがしっかりと生かされていると思います。
また、臨床研究に関して、大学の中ではなかなか学ぶ機会が限られていましたので、しっかりとした教育を受けるチャンスでもありました。そしてそこで得た知識を今度は他の人にも役立てていただこうと思い、疫学・統計学に関する知識などを公開したウェブサイトを立ち上げて役立ててもらうようにしています。そういった活動の中でさらに人の輪が拡大してきており、留学をきっかけとして自分の人生が変わり始めたという確かな実感を持つようになりました。

―留学に際して、腎臓領域の医師/腎臓学会会員でよかったこと

CKD-JACは日本腎臓学会が主催している研究ですので、日本腎臓学会の会員でなければ今回の留学先に行くことはできなかったと思います。また、留学中も他大学の先生方にたくさんお世話になりました。これも学会を通じた横のつながりがあったからこそだと思います。
 留学後は研究支援組織に属していますが、様々な分野の先生方の研究を支援する機会が多くなりました。ジェネラリストの側面が強いのが腎臓内科の特徴ですが、自分自身、臨床の仕事をしているときでも様々な診療科の先生と仕事で接する機会が多かったです。それが現在の仕事においても存分に発揮できているのではないかと思います。

―海外留学を目指す先生方へのメッセージ

留学を通じて一番強く感じていることは、人との縁を大切にすることで道が開けてくる、ということです。自分が想像もしなかった留学という話がたまたま舞い込んできたのですが、本当に多くの先生方にお世話になりました。せっかくの留学の機会を存分に活かして、得たものを使っていろいろな人とつながってみてください。留学から帰ってからが本当の勝負です。頑張ってくださいね。