キャリアプラン

石神 淳一 先生-留学体験記

名前:石神 淳一 Junichi Ishigami
留学タイミング:2014年(卒後7年目)
留学先:ジョンズホプキンス大学(アメリカ)
研究領域:慢性腎臓病領域の疫学

―留学を希望するまで、なぜ臨床研究留学を望んだか

東京医科歯科大学を卒業後、腎臓内科に入局し、専修医として市中病院に勤務していた際、透析患者におけるエリスロポエチンと心血管系の関連を調べる研究機会に恵まれました。当時、論文の書き方はもちろん医療統計や疫学に関してもほとんど知識がなかったため、解析方法から執筆まで当時の上司からの指導を受けながら独学で学ぶことになりました。この研究を最終的に論文化した際に、今後質の高い臨床研究を行うためには疫学および医療統計を体系的に学ぶ必要があることを痛感し、留学を含めた研修先を探し始めました。当初はフェローとしてどこかの研究室に受け入れてもらい、臨床研究の経験を積ませてもらおうかと考えていました。しかし、特に手がかりがあるわけでもなく個人で受け入れ先を探すことに難渋しました。そこで、同僚や上司の助言をもらいつつ、留学を前提とするならば、MPH(公衆衛生学修士)の学生として渡米し、疫学の基礎を学ぶのがもっとも現実的な路線なのではないかという結論に至りました。米国の公衆衛生大学院のうち、臨床研究に必要な知識を重点的に学べることを前提として、ジョンズホプキンス、ハーバード、エモリーなどの大学を目標とすることにし、2014年にジョンズホプキンスに合格したために渡米することになりました。

―MPHで得た経験

ジョンズホプキンスのMPHでは統計と疫学に関する授業を積極的に取りました。公衆衛生大学院と聞くと最先端の統計や研究手法を学べると想像するかもしれませんが、実際には統計と疫学に関する基本をしっかりと学ぶことに重きが置かれています。すでにひととおり疫学を学んでいる先生にとってはすこし物足りないと感じるかもしれません。ただ、研究課題を考えた際にどのような手法でどのデータをどう解析するのか、その思考過程を学習することが重要視されており、この点で独学では難しい経験が得られるのではないかと思います。ジョンズホプキンスのMPH課程は11ヵ月で完結する上、医学部時代以来の座学環境から離れて久しいこともあり、授業についていくことや試験に対応することに苦労した記憶があります。また、授業の中にはグループ討論が必要なものもあり、英会話を含めて語学にも多分に漏れず苦労しました。ただ、振り返ってみると短期間で自分の学びたかった知識を体系的に学べたので詰め込み教育としてよく機能したと思います。

―MPHを卒業したその後

前述したとおり、MPHは知識の詰め込みとしてはよかったのですが、研究を行うに当たっては、その知識をどう研究手法に生かすのかが重要になります。学んだ知識をもとに、自力で研究を立案し、手法を考え、データを解析して論文を執筆するにはさらなる学習と経験を積む必要があると感じました。そこでいくつかの研究グループに卒後残留することができないか尋ねて回り、受け入れてもらえる教室が見つかったため、ポスドクとして残ることになりました。

―ポスドク中の経験

ポスドク中にはおもにThe Atherosclerosis Risk in Communities (ARIC) Study やChronic Renal Insufficiency Cohort (CRIC) Studyなどのコホートを用いて慢性腎臓病に関する疫学研究を行いました。具体的には、まずは研究課題を考えたのちに研究計画書を作成し、各コホートの審査委員会に提出し、承認をもらいます。データを入手後は、研究計画に沿って解析を行い、ある程度のところで表や図にまとめ、共著者と協議しながら論文に含める内容を決めていきます。同時に論文原稿の執筆を開始し、こちらも共著者と意見をやり取りしながら、最終的な形まで持っていきます。ARIC やCRIC研究のデータを使用した場合は雑誌に投稿する前に、審査委員会による査読と承認が必要になります。基本的にはポスドク中はこの作業を繰り返しました。統計解析は慣れてくると以前に使用したプログラムを流用できるようになるため、徐々に効率的になっていきますが、論文の執筆については数をこなしてもなかなか慣れず、苦労しました。

―教官になってから

ポスドクを3年間行った後に、教官として採用されることになりました。教官になると、学生指導や授業の担当を依頼されるようになります。学生指導は大学院生をあてがわれ、彼らとともに論文の研究課題を考えるところから指導を行います。そのほか、School of Public Healthで大学院の学生相手に授業を担当することもあり、現在私はEpidemiology of Kidney Disease とBiological Basis of Cardiovascular Disease という2コマを教えています。もう一つの変化は、自分の給料をどこから出してもらうのかを考えなければならなくなることです。アメリカの大学は一般的に大学からの給料が支給されないので、自分の給料を支給してくれる先を自分で探してくる必要があります。これには2つの方法があります。一つ目は研究資金を持っている教室の責任研究者に雇ってもらう方法です。この方法は、自分のやりたい研究がその研究室の活動と一致している場合は最も確実な方法です。もう一つは自分でグラントに応募し、研究資金を得る方法です。私の場合は所属する部署の研究者たちが資金を豊富に持っていたため、初めの数年は彼らに雇ってもらいながらグラントに応募し、最終的に若手研究者向けのアメリカ国立衛生研究所のグラントに採択されました。このグラントは研究費が少ないため、研究に投資できる金額は限られます。しかし、最大の利点は私の給料の大部分を5年間保障しててくれるため、周囲の環境に煩わされることなく自分の仕事を自分の裁量で決められることにあります。この保護された時間を使い、現在私はおもに心腎関連の疫学や感染症・ワクチンに関連する慢性腎臓病の疫学研究を行っています。

―腎臓内科医が留学するメリット

腎臓領域の研究は腎臓以外の臓器や疾患との関連や相互作用が多岐にわたり、電解質や病態を含めた幅広い知識が必要になるため、疫学や統計から研究を始めた研究者にとってはとっつきにくい側面もあるようです。その点、腎臓内科の臨床医が疫学と統計をサブスペシャリティとして持つことは将来のキャリア形成にとって費用対効果の高い投資になるのではないかと思います。特に、若手の先生が普段の臨床で感じた問題点や、論文で調べても答えが見つからない疑問点は重要な研究課題であることが多いです(ジョンズホプキンスの腎臓内科フェローと仕事をしていると手法は物足りないが研究アイディアは素晴らしい、という例を多く見ます)。留学はたとえ短期であっても、そんな臨床的な疑問をどうやって研究手法に落とし込めるのか、その過程を学ぶいい経験であり、腎臓内科医としての専門性を持つことは大きな強みになると思います。また、腎臓疾患は高血圧、糖尿病、感染症、心血管系疾患と多岐にわたるアウトカムや慢性疾患と交差しているため、研究課題に困ることもありません。

―終わりに

渡米した当初は2-3年必要な経験を積めたら日本に帰国しようと漠然とした思いを持っていました。ところが学んでいると次の目標が見え、まだまだ経験が足りないと悪戦苦闘しているうちにあっという間に9年間が過ぎてしまいました。留学の目的は人それぞれであり、たとえ1年や2年であっても大きな財産になることは間違いないと思います。私自身、最初の1-2年間がもっとも研究の基礎を集中的に学べた時期でした。臨床研究に興味がある、またはこれまで自分で臨床研究をやってきたという若手の先生方がいらっしゃいましたらぜひ臨床研究留学という選択肢も検討していただければと思います。